• ホーム > まとめ > こんな素晴らしいスポーツはない!ゴルフであった心が温まる感動エピソード4選

HIRO_P6270013-thumb-815xauto-19469

HIRO_P6270013-thumb-815xauto-19469

こんな素晴らしいスポーツはない!ゴルフであった心が温まる感動エピソード4選

2016-01-23 12:38:06

グレグ・ノーマンとある少年の話

HIRO_P6270013-thumb-815xauto-19469

グレグ・ノーマン(Greg Norman, 1955年2月10日 – )は、オーストラリア・クイーンズランド州マウントアイザ出身のプロゴルファーである。White Shark(ホワイト・シャーク)というニックネームで知られている。

wikipedia

グレグ・ノーマンはオーストラリアだけでなく、世界を代表するプレイヤーです。ゴルフに対する真摯な姿勢とファンに対するフレンドリーな性格は日本でも大人気となりました。そんなグレグ・ノーマンの人柄を表すゴルフの感動エピソードがあります。

1989年4月。ノーマンが参加している退会本部にノーマンの大ファンだという白血病の少年が、血液を全て交換する手術をする前に会って勇気付けて欲しいという手紙が届きます。ノーマンは即座にOKし、少年の夢は叶いました。ノーマンはロッカールームで他の選手を紹介したり、カメラの助手としてより近い所からツアーを観戦してもらえるような配慮をしてくれました。

大会中、いまいち調子が上がらなかったノーマンは少年に「ぜひ、優勝してください!」という励ましを貰った事と、手術前に勇気付けるためにいつも以上に真剣にプレイを続け、劇的な逆転優勝を飾る事ができました。

優勝が決まるぱっとは「いいか、これはジェイミーのために入れるんだ!」と言い聞かせながらパットをしたそうです。大会の表彰式で「私はこのトーナメントに勝ちました。しかし、本当のチャンピオンは私ではなく、ここにいるジェイミーです。死と闘っている彼こそがウィナーなのです。本当の勇気とは何かを教えてくれたのは君だよ。ジェイミー、ありがとう」という感動的な挨拶を残しています。

詐欺師に騙され賞金を渡してしまったプロゴルファー

329f3a3007a1cbe12bdab64ad36249e7_s

Roberto De Vicenzo (born 14 April 1923) is a former professional golfer from Argentina. He won more than 230 tournaments worldwide in his career including eight on the PGA Tour and most famously the 1967 Open Championship.

ロベルト・デ・ビセンゾは( 1923年4月14日生まれ)は、アルゼンチン出身の元プロゴルファーです。彼はPGAツアーで8回の優勝経験を誇り、最も有名なだったのが1967年オープン選手権での優勝です。彼はそのキャリアの中で、世界中の230以上の大会で優勝しています。

wikipedia

これは某巨大掲示板などにも書かれていたので知っている方もいるとは思いますが、華々しいキャリアをもつアルゼンチン出身のロベルト・デ・ビセンゾは、あるトーナメントで優勝した後に、一人の女性に話しかけられます。その女性は「子供が重い病気にかかって死にかけているが、お金がないために医者に見せることもできない。」と伝えると、ロベルト・デ・ビセンゾは、その女性に対して獲得したばかりの優勝賞金をすべて渡してしまったのです。

翌日、食事をしている時にゴルフ協会の職員がやって来て、その女性は詐欺師だった事を伝えます。その言葉を聞いたロベルト・デ・ビセンゾは、「すると・・・・死にかけている子供はいないのか?そうか、そいつは今週で一番いい知らせだ。」と詐欺師を責めるわけでもなく、死にかけている子供がいない事に喜びを述べたのです。

中嶋 常幸と車いすの少女

f9cb72f0a4c654bfa0aca9ca287fbfdf_s

中嶋 常幸(なかじま つねゆき、1954年10月20日 – )は、群馬県出身のプロゴルファー。バプテスト派のクリスチャン。ライバルの青木功、尾崎将司とともに日本男子プロゴルフ界を代表する名選手で、3人の姓を合わせて「AON時代」を築いた。日本ゴルフツアー通算48勝は歴代3位である。

wikipedia

日立3ツアーズ選手権に出場していた中嶋選手は、ティーショットを打った後、第二打地点までフェアウェーを歩いている時に、キャディーの所へいき、ボールにサインをすると、 ギャラリー最前列にいた車椅子の少女に近付きサインボールを手渡しました。その後、一緒に回っていた石川遼選手にもサイン帳にサインするように伝え、車いすの少女にプレゼントさせました。

テレビでも放映されていませんし、あまりに自然だった為、ギャラリーの中には気付かない人も多かったと思いますが、世界で活躍してきた中嶋選手ならではの行動だったと思います。中嶋選手の車いすの少女に対する思いやりやいたわりを通じて、石川選手にもプロゴルファーとしての意識の持ち方を伝えたのだと思います。

ザ・レジェンド・プロアマチャリティトーナメントでの一幕

N934_akusyusuruhutaribiz500-thumb-815xauto-1895

青木 功 (あおき いさお、1942年8月31日 – ) は、千葉県我孫子市出身のプロゴルファーである。日本プロゴルフツアー永久シード保持者。1980年に全米オープンで準優勝を果たすなど、尾崎将司、中嶋常幸と共にAON (エーオーエヌ) と呼ばれる日本を代表する名ゴルファーの一人である。日本ゴルフツアー通算51勝は歴代2位である。

wikipedia

ザ・レジェンド・プロアマチャリティトーナメント大会発起人で実行委員の青木功は、その大会直前にシニアツアーで左足を負傷してしまいました。青木の出場ありきで作られてきたプログラムだっただけに落胆は凄まじいものでした。自分が出場できないことよりも、一緒に参加してくれるプレイヤーや、楽しみにしてくれているファンの期待を裏切る事になると、その事だけを悔いていました。

そんな青木は、若いころから互いに牙を剥きだしにして真剣勝負を繰り広げてきた終生のライバルジャンボ尾崎に代わりに出場してくれないかと手紙を書いた。無二のライバルに、頭を下げた青木の心中は想像では計り知れない物だった。

ジャンボ尾崎も快諾し、無事大会は進行していった。来てくれたジャンボに対して青木は心からの謝辞を送った。そのお礼を聞いた尾崎は「・・・ありがとう」と聞こえるか聞こえないかくらいの音量で返したという。

記事一覧へ

この記事を書いた人

マイ

All contents © copyright 2015 Golf Plus All rights reserved.

ページトップへ戻る